フォト日記

満月の夜 (2010/04/28)

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今日は満月にもかかわらず、午前から2名、夕方1名、わずか3名の訪問客でした。普通は満員御礼とまではいかなくても5〜6名は入ってもおかしくない月のパワーを素直に感じられるタイミング。

午後4時頃まで降りつづいていた雨のせいかと思いつつ、それでも満月のピークに近い7〜9時の予約が当日に電話で入ってもおかしくないのになぁ、と5時近くなってふと所用で受話器をとると・・・

「この電話はお客様のご都合により現在ご利用が制限されています」

なんと、支払い手続きにミスがあってECCOのオフィシャル電話が不通になっていたのであった(汗)。

電話を頂いていたかも知れないみなさま、大変失礼いたしました〜


と、いいながら内心「ラッキー、今日は早々と店じまいして鎌倉の自宅でお月見しちゃえ〜」(笑)


高台にある鎌倉の自宅は白金のように高層マンションに空がふさがれておらず、縁側から真正面にど〜〜んと満月が拝めるのでありました♪

↑の画像はデジタルズームでピーク時間の9時20分頃撮影した満月。

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こちらは通常のズームで。

明日は満員御礼♪

でもゴールデンウィークはまだまだいっぱい空いてますよ〜


レバノンスギとモミの木の関係 3 (2010/04/14)

「あの〜 これは迎車ですか(ですよね〜)?

「いえいえ、お待ちしていたんですよ」

「ええ?? いや〜 もう歩き疲れてしまってどうやって帰ろうかと思っていたところですよ。シャトルバスもないって言うし。こんなところにタクシーが居てくれるなんて本当にラッキーです♪」

「ですからね、そろそろそういう人が来るかなぁ〜ってちょっと前からお待ちしていたんです」

「あ、なるほど、毎年のことですからね」

「いいえ、実は私も毎回御柱祭には参加する地元の人間なんですがね、今年はちょっといろいろあってね・・・」

プライベートな話には極力触れないようにタクシーの運転手さんの話を聞いた(笑)。

今回の御柱祭は例年以上に観光集客に力が入ってか、3日にわたる山出しの最大の目玉である木落しのコースが、川向こうにつくった観覧席によく見えるようにわざわざコース替えをして、しかも新しく作られたそのコースが平坦で危険度の少ないものになってしまって祭り魂が萎えてしまった、というようなことだった(他にもプライベートでいろいろあったようだけどあえて聞かなかった)。

そんなわけでさっそくその木落しの坂まで案内していただいた。


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平らな斜面とはいえ、実際に立つと勾配は急なのでちょっと怖いです(汗)川向こうには確かに観覧席がびっしり!


ちなみに風土史の勉強もされているというこの運転手さんに、御柱祭の所縁を聞いてみるとWikipediaにも掲載されている神話伝説と同じような答えが返って来た。


『日本書紀』に記述があるもので出雲のオオクニヌシが高天原から降ったニニギに国譲りを承諾したとき、ただ一人反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなった。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、その際この地から出ないことを誓って許される。その時結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っている。地鎮祭の神話的表現とも考えられる。

そこで今回ボクが確認したかった物語「紀元前1000年頃、イスラエルの王ソロモンが建立したエルサレム神殿は遠くレバノンから運ばせたレバノンスギによって出来ていた。その過酷な運搬過程を祭りとして再現したものがなんと今日の日本に伝承されている。それが7年に一度、長野県諏訪大社で行われる御柱祭である。」を伝えると、「いろんな説があるようですからね〜」と軽くあしらわれてしまって話が終わってしまった(苦笑)。

その後、諏訪大社のなかでも上社の前宮がもっとも古いと聞き及んでそこをお参りすることにしました。

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さっそく意味ありげな光が走っています♪

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ゴールデンウィーク中に再開される里曵きでは人をたくさん乗せたご神木を曵いてこの階段を駆け上がるわけですね(恐)!

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これが前宮一の御柱!

なんと一の御柱と二の御柱に向かって伸びている道に「鎌倉道」のサインが!
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あとで調べると、源頼朝さんが武神「タケノミナカタ」を詣でるために鎌倉から通った道だとか!
鎌倉に引越した直後だけにこんな長野の山奥のこの道が、鎌倉の自宅近くまで伸びていると知ると感慨深いです。

これは二の御柱
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三の御柱
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四の御柱
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運転手さんによると、それぞれの柱は一番から順に180cmずつ短くなっていくそうです(なぜだかは不明 汗)。

そして前宮の神紋!
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山出しの際に見つけたおじいさんのハッピの紋と同じですが・・・
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みごとにユダヤ教のシンボルであるメノラー(七枝の燭台)を再形象化していますね♪
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しかもこれは針葉樹レバノンスギの形象化にもみえます。
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レバノン国旗より


ところでなぜこのフォト日記のタイトルが「レバノンスギとモミの木の関係」なのか?


話の順序が前後してしまいましたが、実は御柱祭で諏訪大社に立てられる計16本の御神木はすべてモミの木なのです。

レバノンスギの代用だったらスギの木だろ? と思うところです。

ボクもそう思いました。

ところが調べると、レバノンスギとは名ばかりで、実はマツ科の針葉樹でスギの木ではないそうです。そしてモミの木もしかり、やはりマツ科の針葉樹なのでした。これはいわゆるヒマラヤスギも同じで二つはモミの木と非常に良く似た近縁種なのでした。

つまり御柱祭の御神木はレバノンスギの代用だと考えてもまったくおかしくないのです♪
(これはキリストの誕生を祝うクリスマスツリーがモミの木であるのも、それがレバノンスギの代用であると考えるとさらに筋が通ります)。

もちろん、祭りの当事者の氏子さんたちはそれがなぜスギの木ではなく、ヒノキでもなく、モミの木なのか、ボクが聞いた限りでは答えられませんでした。


面白いですね〜


実は明日も極寒の雨の中、この諏訪大社の前宮に行くことになりました(苦笑)。


目的はやはり古代イスラエルと因縁が深いとおぼしき御頭祭への参加です。


いったいどんなサインが待っていることやら♪

レバノンスギとモミの木の関係 2 (2010/04/06)

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御柱について

信州・諏訪大社では七年に一度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する天下の大祭です。

諏訪大社は上社と下社に分かれ、諏訪市に上社本宮、茅野市に上社前宮があり、下諏訪町に下社春宮と下社秋宮があります。祭神として建御名方神と八坂刀売神を祀り、東国第一の軍神として坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄、徳川家康らの崇敬を集めました。現在では全国に1万社以上の分社があるといわれています。

御柱祭がいつから行われているのか定かではありませんが、室町時代の『諏方大明神画詞』という記録に、平安初期の桓武天皇(781~806)の時代に「寅・申の干支に当社造営あり」とあるのが最初の記録で、起源はさらに遡るともいわれています。

祭りでは、長さ約17m、直径1m余り、重さ10トンを超える巨木を山から切り出し、人力のみで各神社までの道中を曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てます。柱を山から里へと曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれで行われます。諏訪の人々は氏子として全精力を注いで16本(4社×4本)の柱を地区ごとに担当するのです。


以下は長野県諏訪大社の御柱祭、4月2日の山出し(山から切り出した16本のご神木を人力のみで里へと運び出す祭儀)の様子。


先ずは動画3連発♪

ここは大曲(おおまがり)という難所のひとつ。家の軒先を壊したり庭から伸びている立派な松の枝を破損しないよう慎重にやり過ごす過程がみどころのひとつとなっています。

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ああ〜 庭の松を折らないで〜

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みなさん、いい感じで泥まみれです。

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真ん中の仕切っているオヤジがカッコいい♪


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こちらは難所を早々に終えて昼休み中の御柱。

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こうやってみるとまるで浜に打ち上げられたクジラのような存在感があります。

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諏訪大社のなかでも最も古い前宮に立てる一番の御柱のようです。


そもそも諏訪大社とは諏訪地方にまたがる4つの神社の総称で、上社と呼ばれる二つの神社(前宮・本宮)、下社と呼ばれる二つの神社(春宮・秋宮)をまとめた呼び名です。

したがって御柱祭とはこの4つのそれぞれの神社の4隅に4×4=16本の御柱を立てる祭儀で、山から切り出した16本の木を里まで人力で曵き運ぶ「山出し」(4月)と、各神社までやはり人力で4本ずつ運んで4隅に立てる「里曵き」(5月)の二つの祭儀を意味します(他にも小宮祭というのもあるそうですが)。


それにしても7年に一度、町中の人々が利害を超えて一つになって大きな仕事を成し遂げるという風習が今日まで継続してあるというのは素晴らしいことだとヒシヒシと感じてきました♪


日常のルーティーンを共同体を通して超越する機会があるだけで共同体におけるさまざまな不具合が浄化されるわけですが、そのような共同体そのものが破綻している都市生活では個人個人が自覚的に浄化をするより他ありません。

そういう意味ではECCOのタンクは個人レベルでの祭儀の場でもあるとあらためて実感しました(笑)。

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2時過ぎにはすっかり天気が回復してきました♪

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こちらは上社本宮、一の御柱を運ぶ木遣り隊。

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路上を直に曵き回すので後ろには清掃隊が。


一番先頭までたどり着いたら急に疲れが出てきました(実は前日の強風の影響でほとんど寝てません)。

しかし最寄りの駅までは4〜5キロ歩かないとならない中途半端な地点です。ダメ元で車道まで数百メートル戻ってみると向こうの方にタクシーが止まっているのが見えます。実は20分前にここを通ったとき見かけたのですが、そのまま停まっていたのです。

迎車かな、と思いつつ「これは迎車ですか〜」と運転手に声をかけると、「いえいえお待ちしてたんですよ」と一言(笑)。


つづく(笑)

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上社 前宮 本殿

今度はレバノンスギとモミの木の関係? (2010/04/04)

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諏訪大社 前宮 一の御柱 0402撮影


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強雨が降りしきる長野へ4月2日の早朝から行ってきました〜 

御柱祭(おんばしらさい)

きっかけは昨年末にここで紹介させていただいた、京都のある和尚さんから聞いた以下のはなし。

紀元前1000年頃、イスラエルの王ソロモンが建立したエルサレム神殿は遠くレバノンから運ばせたレバノンスギによって出来ていた。その過酷な運搬過程を祭りとして再現したものがなんと今日の日本に伝承されている。それが7年に一度、長野県諏訪大社で行われる御柱祭である。

もちろん、このことは公には明かされていない裏日本史ともいうべき話なので、一般的にはある種の”とんでも話”と片付けられるのが関の山かもしれない。しかしながらボク自身は他のさまざまな話からもその和尚さんの情報を信頼しているので、ここはちょいと現地に赴くことで起こるシンクロニシティに身をゆだねてみよう、という軽いノリで出かけてきた次第。


会場に着くや、さっそく見つけたのがそれらしく怪しい帽子をかぶったオジさん!
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そして振り返るとなんとそこには時空を超えてあの方が・・・
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やはりさっそくシンクロのサインが、この祭りは古代イスラエルと関係のある事を告げています(謎)。

しっかし、皆さん生き生きして本当にいい顔してますね〜 晴天のなかよりむしろこのくらいの雨天の方が禊ぎということも含めて盛り上がります♪

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昼過ぎには雨もやみ、去りゆく龍神雲がその姿を現しました。

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・・・つづく


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