K:さて、2008年の年頭の所感を伺おうということではじめたオーナーへのインタヴューでしたが、今年の流れとも大いに関わるということで2007年に起こったECCOの重要ポイントを急ぎ足で振り返っていただくことにしましょう。
昨年の2月末にカリフォルニアから帰られて何か大きくかわったことはありましたか?
宮部:大きな変化がありました。それはECCOのメインコンセプトがそれまでの「ゆだねる」から「味わう」に移行したということです。
もちろん「ゆだねる」というのはECCOプロジェクトの実践哲学として今日でも重要なコンセプトであることに変わりはありません。
実際、フローティングシェルという特殊な環境の中において、まずは身体レベルで「ゆだねる」ことの純粋な感覚を養っていただこうというのがリラクゼーションサロンとしてのECCOの方針です。
すると最終的には ”無” へと至るその過程で身体に張り巡らされている不要な緊張のパターンから解放され、さらにその背後に隠されている恐れのパターンからも解放されていくわけです。
こうして徐々に身体意識が変わることで、日常という一般的な環境において、今度は精神レベルで「ゆだねる」ことが実践できるようになります。「ゆだねる」というのは「何もしないで受け身になる」というネガティブな自己放棄を意味するものではありません。
「信頼」をベースに むしろ ”自己” と ”世界” の溝を跳躍する「勇気」がそのつど問われるようなポジティブな意識のあり方を意味します。
「ネガティブ」に対して「ポジティブ」という安直な言葉の使い方は好きではありませんが、この際ニュアンスとして感じていただければと思います。
しかし一般的には「ゆだねる」という言葉に何か受け身的でネガティブなものを感じ取る傾向が強いのも事実なようですから、どうしても言葉のレベルでの伝わりにくさを感じてしまうわけです。
そこで「味わう」というキーワードをちょうど一年前から重視するようになっていました。
一見、よく耳にする当たり前に使われている言葉ですが、あらためて良く味わってみると(笑)奥深い言葉です。さっきの文脈でいうと受け身的(ネガティブ)な姿勢と積極的(ポジティブ)な姿勢の両方を兼ね備えていることを誰もが容易に直感できる言葉だったりするわけです。
「おれはゆだねてるぜ」って言うより「おれは味わってるぜ」って言った方が好ましい感じがしますよね(笑)。
そもそも意味が違うじゃないか、って言われそうですがECCO的にはむしろ「ゆだねる」と「味わう」を同義語と見なす姿勢のうちにそのコンセプトを感じていただきたいわけです。
実際、”自己” と ”世界” の溝を超えるのに「信頼」とか「勇気」とか、あえて言葉にすると鬱陶しい説教じみたことを言うのは本望ではないし、要するに楽しくイッていただきたいわけですよ(笑)。
ですから「ゆだねる」より「味わう」のほうが実践的に響く言葉だなぁ、と。
K:なるほど。アートプロジェクトたるECCOとしても「味わう」のほうが意味が通りやすいですよね。
宮部:おっしゃるとおりです。「美」は 味わいの中にこそ 宿るものです。
K:スピリチュアルリラクゼーションですね♪
宮部:ふふふ。
K:あれ? 突っ込まないんですか?
宮部:何を?
K:スピリチュアルリラクゼーション。
宮部:・・・ああ、その言葉をサロン名に掲げていることがECCO的な一種のパロディだってこと?
K:え? パロディだったんですか?! なんて(笑)。
宮部:まぁ、もちろん時流にあやかってこの言葉を選んではいるわけですが(笑)戦略的にはこの言葉に付随する一般的なイメージを壊したいという明確な指向性が元々ありますからね。破壊と再生がアートの基本ですから。
もっともこれまでは外から見えるかたちではそういった指向性を打ち出してはいませんでしたが、その方向性をいよいよ明らかにしていくのが今年の動きの主要な要素となるわけですね。
実際に「スピリチュアル」ないし「精神世界」なる言葉でくくられるマーケットが存在し、そのシェアは年々大きくなっているわけですね。ECCOは明らかにその恩恵のなかにいます。
しかし一方でこういった世界の傾向に違和感ないしいかがわしさを覚えている方も少なからずいらっしゃるのは事実ですよね。誤解を恐れずに言えばボクもその一人ですから(笑)。
K:あはは。
宮部:っていうかECCOの会員さんには多いですよ。
K:なるほど。意外ではないです。
宮部:要するに、いわゆるスピリチュアル系のマーケットには未分化に見えながら明らかに方向性の違う二つの傾向があるわけです。
「依存」と「自立」です。
またまた二分法的な言葉の使い方をしてしまいますがこの認識はとても重要です。意外とこの認識をもたないまま無反省にこのマーケットに魅了されたり、あるいはいたずらに拒絶反応だけ示してそれで良しとしている方が多いんですよね。
利益追求という従来のビジネス指向に則れば、当然のことながら依存者を生産しようという勢力が優位になっていくわけです。
仕掛けは簡単です。不安を煽り、自尊心をくすぐるという昔ながらの手法です。
ですからこの視点をもってスピリチュアルといわれている世界を一皮むくとグロテスクなものが判然と見えてくるんじゃないでしょうか。見えないという人は見ようとしていないだけです(笑)。
一昔前だったら新興宗教団体という明確な器に囲われることで成り立っていた特殊な領域が、パンドラの箱が開けられてそこかしこに偏在しているという状況です。特定の教祖様に代わって不特定多数の自称霊能者やヒーラーが、自らをも含めて依存者の群れを生産し、さらにその群れを食い物にしようと外から虎視眈々と狙っているベンチャー企業が続々と増えているわけです。こういったベンチャーの商品はたいていの場合「願望実現」系の媚薬ですよね(笑)。
でもここまで言ってしまえば大方のかたが気づくと思うんですけど、そもそも資本主義社会そのものがこういったマーケットの論理によって成り立っているわけですよね。これまではそれを広く薄く引き延ばしてあまり気がつかないように隠し仰せていただけのことかもしれません。
その意味ではものごとの本質が見えやすくなってきたともいえるわけで、これはこれでそれまでの隠された支配から自立しやすい状況になったとも言えるわけです。
ECCOのいうスピリチュアルというのはこっちの方向性ですが・・・この説明をするには近代社会とそれを用意したルネサンス運動の本質的な意味に触れる必要があります(爆)
なので長くなるのでまた次回〜
K:えええ〜 そんなところに行ちゃうんですか!?
宮部:ECCOはアートプロジェクトですからね♪
つづく
ECCO代表 宮部和雄を古くから知る友人Kによるインタヴュー
K:2002年に発足したECCOがいよいよ6週目の2008年を迎えたわけですが、いわゆる年頭の所感という意味でこれからの展開について何か特別な思いはありますか?
宮部:実際は2007年9月30日をもって5周期が終わり、10月1日から6週目という新たなサイクルに入ったわけです。5は一つのサイクルの終焉を意味し、6は新たなサイクルのスパイラル上の開始を意味すると考えると、ECCOはこの時点で新たなスタートに立ったという認識でした。
K:その前後に何か具体的な変化は感じられましたか?
宮部:まず8月に行った23回目のタンクの水の入れ替え作業の際にはじめてアクシデントが起こって水漏れが止まらなくなり、タンク内部外部もふくめて大がかりなリニューアル化を施さざるをえなくなりました。5年目の終わりにアイソレーションタンクがいわば強制的に生まれ変わることになったわけです。これは新たなサイクルの始まりを示す象徴的なシンクロニシティと受け止めるのに十分な出来事でした。
K:その時点で6周年目の新たな方向性を意識されたわけですか?
宮部:そうです。降って湧いたような考えでしたが「今後のECCOは今まで以上に一般の人々を巻き込んでいく」という発想が9月には定着していました。それはある意味大きな転換でした。
K:それ以前は一般の人々を対象にしていなかったと?
宮部:意識の上ではご縁のある一部の方を対象にしているという感覚でした。実際、くちコミとネット上のホームページへのアクセスだけがECCOの窓口だったわけですから。
K:前の年の2006年は、6月から12月まで毎月さまざまな雑誌に紹介されていたようでしたが。
宮部:ああ、そうでしたね。あれはその年の5月にホームページのリニューアル化を図ったことと連動して起きたシンクロニシティですね(笑)。実はマーケティングの実験として、当時流行していた「デトックス」や「スピリチュアル」をコンセプトに、そこに関心をもつ女性を対象にしたイメージでECCOのホームページを一新してみたわけです。
実際、ECCOの会員の中でも常連の若い女性を中心に何度か戦略会議(笑)なるものを開いて意見を仰いで「いかにも」なイメージをあえて創り上げました。それ以前のホームページのフロントはある意味ダークでアーティスティックなイメージでしたから、よほど好奇心が強くないとタンクに入りたいと思えなかったようです(笑)。しかも音声つきでダースベイダーのような呼吸音と心臓の鼓動が不安感を煽っていましたし。もちろん、それも意図的にやっていたわけですけど。

K:リニューアルされたサイトでは「アイソレーションタンク」を女性に浸透しやすいようにボッティチェルリの『ビーナス誕生』の貝殻と重ねて「フローティング・シェル」と命名し直したわけですが、戦略どおり女性客は増えたわけですか?
宮部:ええ、そうですね。改めてイメージづくりの重要性を認識させていただきました。同時にマカバベッドも「フローティング・マカバ」と改名してダヴィンチの人体図をその象徴に持ってきたことで、図らずもECCOプロジェクトとルネッサンスの関連性を直感させたいという隠された意図が表面化することになりました。
K:そういえば当時映画公開された『ダヴィンチ・コード』ではボッティチェルリとダヴィンチは実は今日まで連綿と続く錬金術的秘密結社の歴代の会長だったということになってましたね。
宮部:フッフッフ。
K:・・・ふっふっふ(謎)。
宮部:・・・それからECCOリニューアル化の戦略会議をあえて開いたことで特に面白かったのは、参加していたみんなの意見が質の高い雑誌であれば取り上げてもらったほうが良いのでは、という方向性を示唆したことでした。それ以前はECCOのスタンスはマスコミュニケーションを敬遠する方向にあったわけですから。それでもまぁ、わざわざこちらから招いて戦略会議に出席していただいていたので、彼女たちの意見を汲むことにしたわけです。
K:ほう。
宮部:といっても何ら広報活動を展開したわけではありません(笑)、すべてシンクロニシティで、それから二週間後の6月に候補にも挙がっていた「ソトコト」でアイソレーションタンクについての体験記事が掲載されたのを皮切りに、12月までの毎月、それぞれ年齢層の異なるターゲットに対して質の高い情報を提供する月刊誌や季刊誌、週刊誌にECCOの情報が次々と取り上げられることになりました。おそらくホームページの印象が良くなったので取り上げやすくなったのでしょう(笑)。
K:それは顧客の増加に大きく貢献したでしょうね!
宮部:いや、全然(笑)。直接的にはまったく・・・と言っていいでしょう。
実際にその年末に2006年を振り返って、”雑誌を見て来ました”という人がたったの2名だったということに気がつきました。しかもこの2名は一回限りで来なくなりました(苦笑)。おそらくその半年間のECCO情報が掲載された雑誌の総発行部数は30万部は下らないはずです。・・・ようするに雑誌の影響力は1/15万。そこで出た結論は”マスコミュニケーションの提供する情報空間とECCOに関心をもつ人々の認識空間には大きなズレがある”ということでした。
K:ECCOはいわば大衆操作とは無縁の独立系として存在していると。
宮部:そこまでは言ってませんよ(苦笑)。でもニュアンスとしてはそのような認識を内面化する実験結果となりました。むしろ直接的には、ホームページが明るく清々しいイメージに変容したことで、従来の会員たちが「おかげで友人知人に怪しまれることなく紹介できるようになりました♪」と言って一挙に紹介客が増大する流れがおこったわけです(笑)。
K:いずれにしても、くちコミありき、ホームページありき、という従来のECCOのスタンスが強化される結果になったと。
宮部:そのとおりです。ですから2007年を迎えた年頭には、およそマスコミを活用してECCOを広めていこうという認識は皆無でした。
K:・・・あれ? そういえば2008年の年頭の所感を聞くインタヴューのはずが、いつの間にか2006年、2007年を振り返るインタヴューになってます・・・ね。
宮部:まぁ、ここのコラムのコーナーが2006年の年頭の所感で終わったままになっていましたから(汗)、この展開は必然でしょうね。
K:そういえばコラムだけではなくてBBSのほうも2006年の3月ころからまったく機能していませんよね。
宮部:それは・・・あれですよ、ミクシィのせいです(汗)。ずっと拒絶していたミクシィに確か2006年2月の終わりから入会することになって、案の定ハマりまして(笑)・・・ネットワークが限られていることからコアな内容がバンバン打ち出せるという快楽が・・・ねっ。写真や動画も自在に使って、旬の話題をリアルに独自の仕方で共有できる快楽は・・・クローズドな世界ならではの醍醐味ですからね。それでホームページ上での不特定多数に対する情報シェアまで意識が回らなくなってしまったんです。
それでも上場したことでミクシィ入会者が飛躍的に拡大してからはいろいろ感じるところがあってボク自身は近頃遠のく傾向にありますけど。いずれにしてもネット独自の表現というものをいろいろ実験させていただいたので、そういったことも反映させながらそろそろここのBBSやコラムを復活させますよ。
K:それじゃ、たとえば今からでも宮部さんのマイミクになれば、2006年から2007年にかけてのホームページ上の空白期間を埋めるコアな情報に、まとめて接することができるわけですね?
宮部:まぁ、コアといってもムラがありますけど・・・ECCO既会員であればマイミク申請いただければお受けいたしますよ。会員の特権ということで(笑)。ボクは本名で登録していますので適当に検索してください。ちなみに日記の公開は「友人まで」の限定ですからマイミク以外は読めません。でもたいした内容じゃないんですけどね(笑)。
K:え? そうですか? ここ1〜2ヶ月のあいだに書かれているECCOで起こっていることって、一般的にいったらトンデモ系の不思議ネタばかりじゃないですかぁ〜
宮部:あ、シッシ〜〜〜〜〜ッ!
K:☆@;*「`><〜|’_「L○★ 失礼しました!・・・ええっと、2007年の話でしたね! ・・・確か2月3日の節分から立春にかけて九州は南阿蘇の弊立神宮にECCOツアーを組んで参拝されましたね。
宮部:ええ、8名募っていつものタンクの水替え用のご神水汲みをかねて。このとき印象的だったのは、ボクらが阿蘇に到着した前日と当日の早朝が水道管が破裂するほどの記録的な大寒波だったというのに、翌早朝に観念してご神水を汲みに行くボクらを待っていたのはジャンパーも要らないほど暖かい春の陽気だったということでした。有り難い、とはまさにこのようなことを指していうのだと、本当に感謝しました。
K:でも、帰りの飛行機に手違いがあったとか・・・
宮部:あ、そうそう、ボクらの認識では浄化ということなんですけど(苦笑)。
何段階もの確認ミスというシンクロニシティが起こって帰りの便が前日のチェックインになっていたということがまさに帰りの空港のカウンターで発覚し、その場でプラス10万円支払わされる羽目になったんですよね〜(泣) 拾う神あれば捨てる神あり、予測不能のシンクロどんでん返しがECCOツアーの醍醐味でもあります(笑)。
実際、一見ネガティブな現実が起こったわけですがこういった出来事によって穢れを祓うという認識です。もっとも、今となっては笑い話ですが、当時は泣きたい気分でした。まだゆだねられていないんですよね〜 タンクオーナーといえど(苦笑)。
K:同じ2月末には北米ツアーを敢行されていますね。
宮部:これは取材撮影のためのもので、ECCOのデジタル映像部門を担当してくれている高橋弘康くんと二人で10日間のカリフォルニア縦断ドライブツアーでした。

K:アイソレーションタンクについてのドキュメンタリー映画を準備されているとか。
宮部:ええ。2006年末に2007年のイベントとして急に思い立ったのがECCO5周年を記念してドキュメンタリー映画を制作する、という企画でした。アイソレーションタンクとは何か? ECCO運営のこの5年間で学んだことをベースに改めてタンクの可能性を問い直す作品にするつもりです。
実際、リリィ博士が探求した方向性とは別の角度、すなわち日本で展開することで必然的に立ち上がる独自の方向性を、すでにECCOのアイソレーションタンクは明確に認識し実践してきているわけで、そのことをドキュメンタリー映画の手法を通して広く伝えたい、と感じたわけです。

K:そういえば映画監督を志していた時期もありましたね。
宮部:実は10歳の頃から。
スピルバーグの『ジョーズ』で衝撃を受けて(笑)。で、中高校生から8mmカメラやビデオカメラで遊ぶようになって作品創りにハマり、20代前半までに映画の創世記から黄金期に至る古今東西の傑作を観まくりました。しかしかえってそのことで、映画史的にはせいぜい1960年代末までで実はボクを魅了していたものがすでに映画産業からは失われてしまっていると感じたんです。それで映画監督になるという選択肢は20代の半ばまでに消えてしまいました。
それでも映画を構造的に観る見方はそれなりに養いましたから今でも批評的に映画は観ていますし、最近のPCソフトなどのデジタル技術をうまく使えば家庭用のハイヴィジョンカメラ一台でも、とくにドキュメンタリー作品であれば低予算で十分な表現が可能であることもわかっているので、アイソレーションタンクで培った感性も生かしつつ、そろそろ創作活動を展開してみてもいいかな、と意欲が湧いてきたわけです。
K:もうかなり仕上がっているんですか?
宮部:いや、全然(笑)。
当初は30分くらいのこじんまりしたものをウエッブサイト上で公開するつもりで、昨年中に仕上げる予定でスタートしたんですけど・・・アメリカで撮ってきたインタヴュー映像が即興にもかかわらず予想以上によかったので欲が出てしまいまして(笑)、本格的に海外の映画祭に出品できるようなクオリティに仕上げようということで国内でのインタヴュー映像を大幅に撮り直して、さらにイメージ映像やアニメーションなども加えて今年一年じっくりと時間をかけて仕上げることにしました。
K:アメリカでは主にどのような人々をインタヴューしてきたんですか?
宮部:アイソレーションタンクを製造販売しているサマディタンク社の代表二人と、リリィ博士の晩年の研究をサポートしていた科学ジャーナリスト、その周辺の人々、それから実際にタンクを所有し活用しているサンフランシスコのオーナーたちですね。


K:このとき、カリフォルニアの聖地として知られるシャスタ山にも行かれましたね。
宮部:ええ、当初の予定にはなかったんですが、これもいくつものシンクロニシティが重なって結果的に行かされることになった、という感じでした。
K:ある方がご神託を授かったとか(笑)。
宮部:・・・一般的には理解しがたい話ですが、このころECCOに集中的に通われていた、さる著名なスピリチュアル系の著述家がボク宛にメッセージが降りたのでシャスタに行ってください、というわけです(笑)。シャスタ山の地底に住むという、進化した人間の霊的指導者がボクに託したいメッセージがあるそうなのでぜひ直接行ってみては、と言うんですよ、唐突に。ボクがカリフォルニアに行く一週間前です。しかもその著述家はボクがカリフォルニアに行くことをその時点では全く知りませんでした。
そもそも今回のツアーの計画時にはボクもシャスタ山行きを考えていたのですが、たまたま10年そこに住んだという人に会う機会があって「この時期シャスタ山周辺のパワースポットはすべて雪で路が閉ざされているからせいぜい幹線道路から山の景観を眺められるだけ」と聞いていたのでプランからはほとんど外された状態だったんです。場所的・スケジュール的にもあまり余裕がありませんでしたし。
ところがそのご神託(?)が降りた次の日、サンフランシスコで予定していた取材対象者の日程が大幅に変わることになって、ツアー初日の2日間がまるまる空くことになったわけです。そこでシャスタ山近隣の宿”ストーニーブルック・イン”に天候の様子を問い合わせると、なんとこれまでにない異常気象で前年のクリスマスから一度も雪が降らない状態が続いていて、路は閉ざされているどころか雪すら積もっていないというわけです。
K:それはもう、行くしかないですよね。
宮部:ええ。でも一週間後のことはわからないので万一大雪に見舞われても走れるように大型のランドクルーザーを借りた方がよいと言われ、実際に指示通りに大型のランドクルーザーでサンフランシスコ空港から5時間かかるシャスタ山に直行し、10日間のスケジュールの最初の2日間をそこで過ごしたわけです。
K:ご神託どおり何者か現れてメッセージは得られたんですか?
宮部:・・・ええ(笑)。ある意味不可思議な体験をさせられました。けれどこういったことは非常に主観的でデリケートなことなので文章化を控えたいと思います。実際、メッセージが何であったかはその時点ではわかりませんでしたが、それから半年後にあるシンクロニシティを通してそれが何であったか気づかされました。驚いたことには、そのメッセージはすでに帰国後のECCOにおいて新規客向けのオリエンテーション時の重要なキーワードにすらなっていたのです。このメッセージについては今後のECCOプロジェクトの方向性を語る上でのとても重要な概念と重なっているのでまたあとで触れます。
K:でも、せっかくだから帰りに大雪に見舞われた話はぜひしてほしいですね。
宮部:ああ、そうでした。
ボクらは2月の末にシャスタ山に行ったわけですが、通常ですとこの時期は周辺のパワースポットも含めておよそ深雪に閉ざされているとのことでした。しかし今年はなぜか前年のクリスマスからまる二ヶ月間も雪が降らない異常気象が続いていて、そのおかげでボクらは冬のシャスタのパワースポットをたった2日間ですが、自在にランドクルージングできたわけです。

そしてシャスタを離れる日の朝、予報では雨だったのですが9時頃から突然雪に変わり、チェックアウトの11時まで近所のマックラウドの滝へ雪景色を堪能しに行っているわずか2時間のあいだに積雪30cmの大雪となってしまいました。

最初は延々と続くまっさらな新雪の深雪を走り回る快感に浸っていましたが、帰りはランドクルーザーでも一部タイヤがスリップして動かなくなる場面もあったりで、ぎりぎり宿に辿り着いた感じでした。で、こいつはヤバイと、さっさと宿を離れサマディタンク社のあるグラスヴァレーへと向かったわけです。
その晩、ボクらはシャスタ山からクルマで3時間のネヴァダ・シティという街に宿をとっていて、翌朝ノートPCを開いたらさっそくストーニーブルック・インのオーナーからメールが来ていました。あれから雪が降り続け、今朝は例年通りの雪かきをするほど深雪に埋もれてしまったとういうのです。
実は雪が降る前、シャスタ山があまりにも魅力的だったのでもう一泊延泊しようかどうか迷った経緯があったので、あそこで出ていなかったらあやうくシャスタから降りれなくなっていたところでしたよ、という報告でした。
まぁ、主観的な感覚で恐縮ですが、こういうのを ”シンクロニシティ” と呼ぶわけですね。ボクらが去ってしばらくして雪が積もるのではなく、本当にぎりぎりのところで出られたわけで、シャスタ山に来た経緯を改めて振り返ると、まるで「あなたたちがメッセージを受け取れるように雪を降らさずに待ていたんだよ」というサインをもらったように感じてしまうわけです。実際、今こうして振りかえってもその感覚はリアルですね。有り得ない、有り難い、です。
もっともシンクロニシティの深遠さに触れたことのない他人にとってはこのような話の展開はただの与太話でしょうが(苦笑)、少なくともそういう深遠な感覚を経験したことのある人に、もう一度擬似的にでもその深遠さを感じていただけたら嬉しいと思ってお話しました。
ボクの感覚でいうと、そもそも ”シンクロニシティ” とはあくまで主観的な気づきに過ぎません。しかしそれは単に主観的なものとして自分の心にとどめておくべきものではなく、むしろその驚きにも似た気づきが、決して独りよがりにならないかたちで他者も共感できるようシェアするために起こっている場合もある、という感じをもっています。
そしてこのような ”気づき” のシェアこそが ”芸術” という名のコミュニケーションの神髄だとも思っています。このときシンクロニシティは ”日常的な偶然” という感覚を超えて ”超越的なものを直観させる契機” へと昇華するわけですから。
しかしながらここでシェアの対象となる ”他者” とは平等論的に ”すべての人” を意味しません。シェアするのに適切な人、適切なタイミングというのもあると思います。
もっとも、それはこちら側でシェアの対象となる他者を ”意図的に選別する” という理性に基づくものではなく、むしろ ”配慮” と呼ぶべき感性に基づいて自ずと選別されるものです。
そしてこの ”配慮” という名の感性をカッコよく言い換えると ”美意識” ということになると思います。
ですからまぁ、この美意識に基づいて、ボクはシャスタでの不思議な体験をこのコラムという不特定多数に開かれた場では、少なくともまだ言語化しえないわけです。
K:なるほど、うまくまとめましたね〜(笑)
つづく。
これはもう直観としか言いようがないのだけど、この1月29日(すなわち旧正月、すなわち新月)を分岐点として、それまでのエネルギー的潮流が大きくシフトするような気がしてなりません。
振りかえってみると、このエネルギー的潮流なるものが最初に顕在化しはじめたのは1992年頃のような気がします(個人的にはジョン・C.リリィ博士との深いご縁が出来たとき)。いわゆるバブル経済の破綻が人々の意識に明確になり始めたころでしょうか。
より「本質」に向かって行く・・・それがこのエネルギー的潮流の漠然とした方向性でした。
そしてボクがこの方向性を明確に内面化する決定的な契機となったのが、1998年4月に初めて体験したアイソレーションタンクによってでした。
それ以降、意識という氷山の一角の、その水面の遥か下に厳然と存在する「本質」が徐々に浮上してくるのを感じながら、ボクはシンクロニシティという幾多ものサインに導かれるように2002年9月30日(リリィの一周忌)にECCOをスタートさせることになります。
リリィがECCOという響きに与えた原義は”Earth Coincidence Control Office”すなわち、地球の偶然性を制御する(シンクロニシティを司る)オフィスでした。もっともボクが直接与えた意味は”Expand Creative & Communicative Organization ”すなわち、創造性と交流を拡張させる機関でしたが、実際にアイソレーションタンク・サロンとしてのECCOをスタートさせてみると、それがまさに「シンクロニシティ生産オフィス」として機能していることをまざまざと体感させられていったのでした。
それはまた、ECCOが「本質」へと向かうエネルギー的潮流の渦中にあることをも直観させました。それはますます浮上してくる「本質」に抗わないで“すべてゆだねる”というタンク内での姿勢によって得られた、一貫した感覚でした。
2004年~2005年は多くの人が実感したように、このエネルギー的潮流がさらに勢いを増した時期だったようです。すなわち、意識の水面下(潜在意識)に潜んでいた不安や恐れの地層が一挙に顕在化することでさらにその地層の下にあった「本質」が水面下のすぐそこまで近づいてきたのです。ボクはこのことを「浄化」と呼びました。
2004年~2005年はボクにとってもECCOにとっても、また社会にとっても浄化が加速した年でした。
もちろん、浄化は今後も起こるでしょう。社会の意識から恐れや不安がなくなったわけでは毛頭ありません。ボクのなかにも恐れや不安は当然あります。しかし「本質」もすでに共にあります。2006年はそのことがより多くの人々に明瞭に内面化される分岐点のような気がしてなりません。
それはまた、意識の現実への反映(つまり現実化)が早まることを意味するでしょう。そのとき、意識のチューニングを恐れや不安に合わせるのか、「本質」に合わせるのか・・・正直、それは皆さんの勝手です(笑)。
もっともこれは、恐れや不安から意識をそらせ、と言っているのではありません。誤解なきよう。それはまるで反対です。
恐れや不安から意識をそらそうとすることが、逆説的にチューニングを合わせることになってしまうのです。むしろ意識に上ったそれらを“受け入れてしまう”ということです。“受け入れてしまう”という心の動きにはもはや恐れや不安はない。少なくとも、それらを手放そうという準備が出来ているわけです。
ところで、そもそも「本質」とは何か?
これはもう感覚用語でしか表せませんが、やはり「面白い」「楽しい」「気持ちいい」「嬉しい」「美しい」等々・・・このような言葉の羅列で十分に直観されるような「心の動き」そのものではないでしょうか。月並みな物言いかもしれませんがここは外せません。
ポイントは、そんな「心の動き」を素直に表現していくと・・・すると、それがかたちを変えて現象化(現実化)してくるサイクルが速くなってくる・・・それが経験上の実感です。
そこで、新たな年、新たなサイクルに向けて、以上の観点から強力なアファメーションを作ってみました。いわば年頭の所感です。「金持ちになる」とか「能力アップする」とか「ソウルメイトに出会う」とかよりもよっぽど現実的なアファメーションだと思うのですが、皆さんはいかがでしょう?
一つ、私はつねに本質とともにあることを知っている。
一つ、私は恐れや不安を呼び覚ます現実を自らのものとして受け入れる。
一つ、私は楽しい、嬉しい、美しい、という感覚に素直に魅了される。
一つ、私は出会うすべての人を魅了している。
一つ、私はつねに満ち足りている。
一つ、私は「私」という意識をいつでも手放すことができる。
一つ、「現実」とは「私」の意識と意思の反映であることを知っている。
本当は一つ一つ解説を要するのだろうけど、あえてこのままに。奥が深いです。
このような所感がより多くの人々に共有されることを切に願う、今日この頃の「私」であります。
2006年1月28日 記
脳神経生理学者としてそのキャリアをスタートさせたリリィは、やがて人間の脳よりも複雑で大きなイルカの脳に注目するようになった。人間の脳が地上における哺乳類の進化の極点だとすれば、イルカやクジラ(鯨類)のそれは海洋における哺乳類の極点だといえるだろう。さらにいえば鯨類の脳は、はるか1500万年も前に現在の規模に達していたと推察されるのである(人間の脳は300万年前)。
もっとも、イルカやクジラが人間と同じ意味での知性をもつとは考えにくい。しかし、陸で生きることを止め、海へと回帰していった彼等が陸上とはまったく違う環境の中でみごとに進化を果たし、人間よりもはるかに長い歴史の中でその環境に適応してきたことを考えると、イルカやクジラが人間とは異なる、独自の知性を培っている可能性は十分にあるといえるだろう。
自然を一方的にコントロールし、自らに都合よく環境を変えてきた人間中心主義、そして客観的正しさの名の下、(一見)主観を排除したところに真理を見出す科学的実証主義・・・近代から今日に至るまで優れて理性的と見なされてきた人間中心のこの思考の枠組みに早くから限界を感じていたリリィは、したがって先にみたイルカやクジラとコミュニケーションをもつことで、もはや人間自身からは導くことの困難な、新たな時代にむけての有益なビジョンを得られるのではないかと考えたのだった。
今日、環境破壊が深刻化し、また近代化以来の人間社会の枠組みが様々な場面でそのほころびを見せていることは改めて指摘するまでもない。そしてリリィは、1950年代からのアイソレーションタンクを用いた意識研究と、イルカの研究においてすでにこれらの問題に直面し、それを超えるための本質的ヴィジョンを独自に探究していたのだった。
いったいイルカやクジラとはいかなる存在なのか?
宇宙が太古から人間の神秘であり続けているように、地球の70%を占める海もいまだ未知であり、様々な神秘=ロマンを底知れず湛えている。そしてロマンは常に人間の想像力の源泉であり、そこから生まれる創造力の大きさが人間と他の生物とを分かつ知性の証であることはほぼ間違いないだろう。
しかしここで忘れてはならないのは、創造と破壊が常に表裏の関係にあるという事実である。私たちは人類史のなかで非常に多くのものを創造してきたが、それと同じ規模のものもまた破壊してきたといえる。
ところで、古代ギリシャの時代から人間にとってロマンの対象だったイルカやクジラは、海という環境にみごとに適応してきたという意味で決して破壊的ではない。それどころか、外敵として立ち現れるある種の人間に対してすら、決して危害を加えることがないといわれるほど温厚であると考えられてきた。
それでは破壊的ではないイルカやクジラは、また創造的ではないと言えるのだろうか? もちろん、人間が頭と手を使って環境に働きかけながら今日の文化を築き上げてきたようには創造的ではないと言える。しかしかつて四本脚だった動物が、今日の美しい流線型をしたイルカやクジラに進化したことを思えば、彼らは自らの身体そのものを創造したと考えられないだろうか。
海という、重力から開放された広大な世界の中で身体を支える必要のなくなった脚は、その世界を自在に移動するのに最も効率的なデザインのヒレへと進化し、また重力をともなった衝撃を受ける危険のなくなった脳はその容量を巨大化させることが可能となったのである。広大な海の中を自在に浮遊する巨大な脳・・・
逆に、陸上という重力に支配された閉塞的な世界に生きる人間は自らの脳を巨大化させる代わりに文字を発明し、それを書物に収めることによって記憶のための脳を外在化させてきた。そしてこのわずか150年のあいだに、複製映像(写真・映画)の発明からさらにコンピュータ、そしてインターネットという巨大な情報ネット網を築くに至り、もはや人間自身が巨大な脳の中を浮遊しているという前代未踏の時代に突入してしまったといえる。もっとも、その一方で人間を取り巻く物理的な環境が深刻な危機に瀕しているのは先に述べた通りである。
ところで、脳内の記憶やイメージの外在化(文字→書物→印刷物→写真→映画→テレビ→コンピュータ→CG→PC→インターネット)を通して発展してきた人間の社会はある意味で視覚中心的といえるだろう。そして<視ること>とは、本質的に<自己 対 他>という物理的・心的距離感をともなった客観性や疎外感をはぐくむ契機に満ちていることを忘れてはならない。
神という超越者を本質的に失った近代ヨーロッパ以降、この距離感をともなった客観性は科学主義の名のもとに神にとって代わり、またその距離は決して埋まらない溝(孤独)として、今日の人間社会のコミュニケーションのありかたの根底に横たわるものとなった。およそ私たち人間のコミュニケーションの前提ともいえるこの分断された自意識は、究極的にはいま露呈しつつある様々な社会問題の核をなしているといっても過言ではない。
一方、海という視界の不透明な世界に住むイルカやクジラは視覚よりも聴覚を中心とした社会を形成している。彼らは複雑な音声によるコミュニケーションを発達させているが、海という触媒は音声を伝えるのに最も適した媒体(メディア)だった。
彼らの出す高周波音の可聴範囲はきわめて広く、人間の20Hz~20KHzに比べるとイルカはその100倍以上にも及ぶとされる。またその可聴距離もきわめて遠く、ザトウクジラにいたっては地球の裏側にいる相手とのコンタクトが可能であるというレポートさえあるほどである。
電波を発見し、また、ケーブルを世界中に張り巡らせ、送信機と受信機、増幅器の創出によってはじめて可能となった人間の通信システムを、いわばイルカやクジラは海という自然のメディアをそのまま活用しながら、自らの身体の進化によって創り出していたといえるのではないだろうか。
また、イルカはその頭部から特殊なクリック音を出すことによってエコロケーションと呼ばれる反響定位の機能(潜水艦のソナーはこれを応用したもの)をもつことでも知られている。これはコウモリが暗闇を自在に飛ぶ際に使う能力としても知られているが、様々な例証からイルカはこの能力によって対象の位置関係や外観だけでなく、その内部構造やさらには仲間どうしの精神状態さえも、イメージとして探知しているのではないかと推察されるのである。
決して言葉通りではない人間のコミュニケーションにおいて、言葉の背後に潜む発話者の表情や挙動の微妙な変化によって互いに察しあう感情の流れを、イルカたちはこのエコロケーションによって相互同時的に裏表なく把握しあっていると考えたら想像のし過ぎだろうか?
あるいはまた、水中での音声によるコミュニケーションの場合、相手との物理的距離が離れていても、その音声が互いに知覚される際には自らの聴覚にじかに響くため、感覚的な距離感は消失し、人間の社会において<視ること>がもたらす<自己 対 他>という疎外感よりも、むしろ<共にある>という親密性の度合いの高さが直観される。このことは、たとえば面と向かっては言えないことが電話では言えてしまうという、私たち人間の日常的な経験を思えば容易に理解できるだろう。
以上のことから、分断された自意識の集合である視覚中心的人間社会とは極めて異なった社会が、聴覚を中心としたイルカの世界で形成されていることが予想される。
実際、イルカはグループによる高度に複雑な社会を形成していることで知られている。イルカの中でも脳の容量が最も大きいバンドウイルカを研究していたリリィは、彼らの親密性を基底とした複雑な音声によるコミュニケーションが、グループとしての一つの精神を生み出しているのではないかと考えた。
<グループマインド>とリリィによって名づけられたイルカの社会は相互扶助性が極めて高く、一つの巨大な精神がグループ内の複数の個体たちそれぞれの精神として同時に共有されているとしか思えないという。・・・一が多であり多が一であるという完全調和の社会・・・
いったいイルカやクジラとはいかなる存在なのか?
しかしながら、いま一度反復されるこの問いはある意味で不毛と言わざるをえない。彼らが自らの社会を築き、それが過不足なく環境に適応していることがわかっている以上、<客観的には>他の動物たちと同様、彼らは<自然>という巨大なサイクルの中の一部であって、それ以上でもそれ以下でもないだろう。それでも、人間があえてその存在の意味を問おうとするのなら、私たちはこの質問の設定の仕方に若干の、しかし本質的な変更が必要なはずである。
すなわち「イルカやクジラは<人間にとって>いかなる存在なのか?」と。
そして、おそらくその最も単純明快な答えは<ロマン>の一語に尽きる。古代ギリシャの時代から、イルカやクジラは私たち人間のロマンの対象であり続けている。未知の海に暮らす彼らに対して、人間はなぜか他の動物に対してとは違う特別な感情を抱き、様々に想像力を育ませてきた。
そしてリリィを筆頭とする様々な学者の研究によって、彼らの驚異的な能力の一端が次々と明かされてきたのだが、さらに多くのことが未だ謎のままであり、私たちはますますイルカやクジラにロマン的憧憬を募らせるばかりだ。
しかしここで見落としてはならないのは、リリィの研究によって、このロマンの意味が大きく変わったという事実である。リリィはイルカを単に空想的な次元での憧憬から、人間という概念を相対化しうるほどの現実的な存在へとシフトさせたと言えるのだから。
人間とイルカの異種間コミュニケーション、それはその前提としてお互いの存在を対等と見做すことであり、関係性の中に学ぼうとする意志を必然的に要請するものなのである。つまり、彼らの存在を問うことは人間そのものを問い直すことでなければならないといえる。そしてこれは、人間を中心とし、そのことを隠蔽しながら事物を客観的に捉えようとするそれまでの科学的方法論にはなかった視点だった。
昨今のイルカ・クジラブームはともすると彼らをいたずらに神秘化してしまいかねない危険性をともなっているが、かといって客観的に彼らを単なる動物に過ぎないとうそぶく科学的見解(?)もまた同じように危険である。
「想像力とは人間の最後の資源である」・・・古代から現代まで、そして子供から大人まで、私たちの想像力を絶えることなく刺激してやまないイルカ・クジラの存在とは、まさにその意味で人間にとって貴重な資源といえるだろう。
人間はイルカ・クジラという想像力の源泉である貴重な資源によって、次世代にいかなる社会を創造しうるのだろうか? リリィのイルカ研究の核心はここにあったのである。
1999年記
1915年1月6日 ミネソタ州セントポールに生まれる。
物理学、生物学、医学、薬理学、精神分析学を基礎に、独創的な意識研究を展開。客観主義的な近代科学の方法論を超え、70年代のニューサイエンス・ムーブメントの先駆者として生きながらにして伝説となった孤高の脳科学者。また人間中心的世界観を相対化させるイルカ研究は特に有名で、そのヴィジョンは今日のエコロジー・ムーブメントに受け継がれている。
意識研究やイルカ研究をめぐる著作は多数。
邦訳は「サイエンティスト」「意識の中心」「イルカと話す日」「ジョン・C・リリィ 生涯を語る」
彼の存在と研究をベースに2本のハリウッド映画「イルカの日」(マイク・ニコルズ監督/1972)、「アルタードステイツ」(ケン・ラッセル監督/1980)が製作され、いずれも大ヒットした。
1992年初来日を果たし、日本にイルカブームを巻き起こしたのは記憶に新しい。異常ともいえる読書家で在日中(当時76歳)には忙しいスケジュールのなか、ペーパーバック(主にSF系)を1日に2冊も読んでいた。もっとも、壮年期は柔術の黒帯を持つほどの肉体派科学者であった。ヨガや仏教等の東洋文化にも習熟しており、特にこの初来日を期に、日本への関心を高めていた。
1992年よりハワイのマウイ島に居を移し死の直前まで住んでいたが、最期はロスへの転居を希望。2001年9月、最後の力を振り絞ってロスを訪れ、亡き最愛の妻トニーと過ごした第二の故郷ともいえるマリブの家の利権をめぐる裁判に勝訴した翌日、宿泊先のホテルで心臓発作にみまわれる。そして数日後、自らの意志どおり希望の土地で肉体の最期を迎えることとなった。
2001年9月30日 脱地球。享年86歳。
John C. Lilly M.D. Link: http://www.johnclilly.com
*尚、リリィ博士のレクチャーを収めたヴィデオテープ、オーディオテープにご興味のある方は 以下のリンクにアクセスして下さい。